クアロア・ランチについて

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ワイキキから車で約50分、オアフ島の北東部に位置するクアロア・ランチは、大自然の中にスピリチュアルな雰囲気が漂う秘境の大地。そのドラマティックな景観ゆえ、数々のハリウッド映画や、国内外を問わず人気テレビ番組、コマーシャル撮影のロケ地としても広く知られています。

東京ドーム450個分(約500万坪)の広大な敷地は、緑豊かな山々と壮大な渓谷、プライベートビーチを有しています。乗馬、ラプターなどのアクティブなツアーから、その起伏に富んだ地形を利用してのユニークなツアーの数々をご提供しています。

オアフ島東海岸最大のビジターセンターは、太平洋が一望できるカフェテリアと、オリジナルギフトショップがあり、クアロア・ランチを訪れるお客様の憩いの場としてご利用いただいております。100台以上収容可能な無料駐車場も完備され、お車でお越しになるお客様にも気軽にお立ち寄りいただけるようになっています。この他、食事やパーティができる「ランチハウス」もあり、団体のお客様にも安心してご利用いただけます。

クアロア・ランチで過ごされる時間が、お客様のハワイ旅行の素晴らしい思い出となりますようスタッフ一同願っております。

皆様にお会い出来る日を楽しみにしております。アロハ!

クアロアの歴史

オアフの東側に小さな無人島があります。標高63mのこの島は、昔コオラウ火山の一部だったのです。この島はチャイナマンズ・ハット(中国人の帽子)と一般的に呼ばれています。しかし、ハワイ人はこの島をモコリイ島とよびました。モコリイとはハワイ語で「小さい島」の意味。伝説によりますと、ヒイアカという神が巨大なトカゲを退治したそうです。その尻尾を湾になげこんだところ、尻尾がこの島になったと言われています。この神々の伝説が残る場所にクアロア・ランチがあります。

このクアロア・ランチの歴史は1850年に始まります。当時、カメハメハ三世の相談役であったゲリット・P・ジャッドは622エーカーという広大な土地を1300ドルで譲り受けます。数年後には彼の息子がハキプウとカアアヴァの峡谷、漁業権、そしてモコリイ島を購入します。その息子は娘婿のS・G・ワイルダーと共同でサトウキビの栽培をはじめるのです。彼らは溶岩とサンゴと砂からモルタルをつくり、オアフ島最初の精製工場をつくりました。

サトウキビ産業全盛の頃です。すべてが順調に見えました。しかし、不幸が彼らを襲ったのです。1868年、ワイルダーの9歳の息子が煮えあがる砂糖の釜に落ちて死亡してしまうという事件がおきました。不幸は重なります。干ばつがクアロアを襲いました。サトウキビは壊滅状態におちいりました。そして、1871年にサトウキビ工場は幕を閉じたのです。

1900年代に入り、クアロアは牧畜をはじめました。クアロア・ランチの誕生です。しかし、クアロア・ランチに暗い影が再び忍び寄ります。戦争です。第二次世界大戦中、牧場は軍の所有になりました。クアロアに沿岸防御用の基地がつくられました。戦後、牧場は再び持ち主の手にもどりました。クアロア・ランチの新しい出発です。70年代に入ると、乗馬施設がつくられます。そして、80年代には他のアクティビティーが加わり、オアフでも有名なアクティビティーセンターに変わっていったのです。

クアロア・ランチのユニークな点は、農業、教育、自然保護、レクリエーションが深く結びついているところです。遊びながらも、自然のすばらしさを享受することができるのです。この自然との結びつきはこれから先、何世代にもわたって伝えられていくことでしょう。